20171020‗全ては言葉でできている、ということ。
【世界は言葉でできている。】
数年前に見ていた、大好きだったバラエティ番組です。
偉人の名言を取り上げ、その名言を超える言葉を芸能人が大喜利形式で発表する。バカリズムやオードリー若林、ピース又吉などが出てました。
特番~深夜時代から大好きだったので毎週のように見ていました。ゴールデンに半年で移ったのも英断!と当時は膝を叩きましたが、Wikipediaを見てびっくり、たった3ヵ月で打ち切りだったんですね。
番組の内容がもちろん好きでしたが、それより何より番組のタイトルが好きでした。
『世界は言葉でできている』。
当時は何となくの印象で漫然と好きだと思っていましたが、今ならその意味を当時以上に理解できているつもりです。
たとえば、
【国】や【宗教】や【神】。
【愛】や【夢】や【希望】や【歓び】。
今日がいつで100年前に何が起こり、10年後に何を期待するか。
僕が何を思い、あなたが何を考え、そして、この先どうありたいか。
全て言葉がなければ定義されない、伝わらない、膨らまない。
世界のあらゆるものは、言葉でできている。
普段から上記を意識していたわけではなく、漫然と感情や意識の赴くままに言葉を発していました。だけど今、病気になり、それまでの日常とは異なる生活になった中で、忘れかけていた言葉の大事さとその力を思い出していました。
一番思い知ったのは、言葉にはエネルギーを伝達する力があること。
病気になってから今日まで、僕は本当にたくさんの『応援』と『祈り』を頂きました。あるときは直接面と向かって、ある時は手紙で、ある時はSNSの書き込みで。そしてそのすべてから、字面以上のエネルギーを受け取っています。祈りや想いそれ自体は目に見えないし物質化できるものでもないですが、その祈ってくれている行為、割いてくれている時間、伝えてくれているという事実が言葉を通して伝わっています。そしてそのエネルギーは、治療や体調の変化によりくじけそうになる心をしっかり支えてくれています。一人ではないということを感じさせてくれます。生きる理由を増やしてくれます。本当に、ありがとうございます。
次に、世界を拡張する力があること。
2014年の病気発覚から現在まで、3回の入院と6回の自宅療養を過ごしています。病院でも自宅でも、特定の場所に活動が制限されると、世界はなんと狭いのだろうと感じます。でも、小説であれマンガであれテレビドラマであれ、今向き合っている事柄と全く違う世界観に浸ることで現実とは異なる場所に僕を連れて行ってくれます。現実逃避ともいえるかもしれませんが、この適度な逃避が社会復帰へのモチベーションになったり、過酷な副作用や手術への恐怖を和らげてくれます。複数の世界に自分の身を置くこと、複数の世界を持つことがいかに大事かを学びました。
そして、その世界の中で、自分が何者であるかを認識できること。
少ないながらこうして自分の思うことや在り様を言葉にしようとすると、自分がどういう状態で何を考えていてどうしたいのか、端的に書くと自分が何者で、何者になりたいのか。そもそも何者なのか。そういうことを考えます。
病気の自分。父である自分。夫である自分。エージェントである自分。友である自分。色んな側面があり、ないまぜになりながら濃さを調節し、その濃さに応じた言葉をTPOに応じて発する。その発した言葉を受け止めてくれた方が、僕が何者なのかをその人の中で形作る。人は、他者に認知されて初めて存在を確認できると思うので、何者として認識してもらうか、そのためにどういう言葉を発するか。
決して良く見られたいわけではないですが、自分が何者であるかの確認と証明のために言葉は不可欠であると強く感じています。
話がとっちらかりました。
整理すると、つまりこういうことを言いたかったです。
『全ては言葉でできている』
本当はもっと書きたいことがあったはずなのですが、語彙力不足で今回は一旦ここまで。また機会があれば書こうと思います。