がんになって、よかったこと。

ステージ4の大腸がんになっておこった生活や思考の変化を率直に書きます。ネガティブなことばかりではなく、実はポジティブなことも多いのです。

20181029_死の輪郭に触れる、ということ。

2018年10月29日に、宝島社が、朝日新聞と読売新聞の朝刊にそれぞれに種類の違う全面広告を出した。いずれも、先月亡くなられた樹木希林さんがモチーフ。

tkj.jp

 

帰宅した妻からも『あの広告見た?』と聞かれるぐらいなので、今日一日で相当バズったようだ。僕自身も、SNSでシェアされてきた中でこちらに向かって無邪気に舌を出す希林さんの画像だけはなんとなく見かけたが、文章までは読んでいなかった。そもそも、希林さんの訃報が流れてから現在まで、彼女を追悼するテレビ番組や生き方を礼賛する記事が多すぎて、正直食傷気味だった。

自分がサバイバーになって以降、がんで亡くなった有名人のことがそれまで以上に目につくようになったし、何となく過度に美化される気がして、あまり良い気分ではなかった。

 

閑話休題。そういうことが書きたいわけじゃない。話を戻します。

 

朝日、読売それぞれに別々の写真と文章が使われており、両方に目を通したところ、特に読売新聞に掲載された文章の、以下の部分に、目を奪われた。

 

『人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるんじゃないかしら。そういう意味で、がんになって死ぬのがいちばん幸せなのよ。

用意ができる。片付けして、その準備ができるのは最高だと思うの。

ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう?そうやって考えると、がんは面白いのよ。』

がんになって死ぬことが一番の幸せで、最高で、面白い、か。

思いもよらなかった言葉に、思考が停止した。

そして、先日参加した、がん患者と医療従事者で行った、死について考えるワークショップのことを思い出した。

【2018/10/20 死について語ろう。医療者とがん当事者で。】に参加して。|こどもを持つがん患者でつながろう - キャンサーペアレンツ

そこではがんサバイバー、医療従事者がそれぞれの視点と経験から、5つのテーマに基づいて少人数で対話を経ながら、死の輪郭を探ったりそこに向きあう感情を吐露し合うというものだった。僕自身も、自分にとってここ数年で一気に身近になった死について、その正体を知りたいと思い、参加した。

結果として、死は非常に個人的で、個別に意味付け・定義づけをする必要があると感じた。そして僕にとっての意味や定義はその時は分からないまま、ずっと頭の片隅に疑問が残り続けた。

そこで、さっきの広告。さっきの言葉。

最高とか。幸せとか。面白いとか。死に対して、そういう表現は、とてもじゃないけど結びつけられなかったし、どう咀嚼していいか分からなかった。

ぼんやりと、何度か読み返しながら、ふと思った。

 

樹木希林さんは、この手紙を最後に、この世に別れを告げた。

最後の文章にマルを打ち、これでお終いと。

死は、ピリオド。句読点のマル。

生は、そこまでに書かれた文章のこと。

書きたいことを書ききって死ねる人もいれば、突然の死で尻切れる人もいる。

必ず訪れるものながら、いつどのように打たれるか分からないそれに対して、我々がんサバイバーは5年生存率や余命宣告への恐怖を通して、日々向き合っている。そして、知らず知らずのうちに、自分の文章を反芻しながら、まとめ方を模索したり、その準備に入る。そして、僕も。

 

死はピリオド。

今までで一番しっくりきた。欲していたものの輪郭に、触れた気がした。

 

願わくば、書ききって打てますように、マル。