がんになって、よかったこと。

ステージ4の大腸がんになっておこった生活や思考の変化を率直に書きます。ネガティブなことばかりではなく、実はポジティブなことも多いのです。

20180410_休職期間に関する備忘録1‗逃げ出そうとした日について

今回、2017/夏からはじまった3度目の闘病生活。

2017/12から休職期間に突入し、今のところ、2018/5から職場復帰を予定しておりますので、休職期間は5か月となります。

過去2回(2014/11~2015/2 4か月、2016/8~9 2ヵ月)よりも長く、なんなら社会人生活において最長の休職期間です。

 

今回、復帰予定も近づいてきたので、自身の振り返りと備忘録を兼ねて、この休職期間に心がけていたこと、やったことを数回に分けて書き連ねていこうと思います。

 

【心がけていたこと】

・悔いのない闘病をすること。

・家族、特に子ども達と濃密な時間を過ごすこと。

・やりたいことを明確にし、それを実行していくこと

 

■悔いのない闘病(と、そこから逃げ出そうとした日)、について:

・今回は2017/12に入院・手術をし、年明けから抗がん剤4クール実施するというスケジュールが医師との相談のもと決まっていました。休職直前までは、この決まったスケジュールを粛々とこなしていこうと穏やかな気持ちでいました。実際、手術からは逃げられないし、その後の傷及び体力の回復については時間の経過を待つしかないので気持ちの波風が立つことはあまりありませんでした。

・ただし、抗がん剤治療については、1回目の投薬後、一度心が折れかけて先生にストップの相談をしました。2月の中旬のことです。

・僕の選んだ抗がん剤は、点滴投薬後約一週間様々な副作用を体にもたらします。しかも回を増すごとに効果が強くなるタイプの薬なので、副作用も回を増すごとにドンドンきつくなる。詳しく書くと体が思い出して具合悪くなるので本闘病期間が終わってから別の形でブログに書こうと思いますが、これがまあきつい。

・自ら毒を取り込み、体を蝕ませる。それを4回も繰り返す。去年も同じ薬を4クールやっていたので繰り返しといえば繰り返しだし、自分の体にどういう変化が起こるか覚悟は十分していたつもりなのですが、増していく副作用の強さと、あと3回も同じ苦しみを味わわなければいけないのかという思いから、上述した通り先生への治療中止の相談をしました。

・先生からは『1週間差し上げますので、ご自身及びご家族と相談してきてください。来週もう一回話し合いましょう』と言われ、1週間猶予を貰いました。

・帰りの電車の中では、妻と母にどう言おうか、そのことばかり考えていました。パートナーとして、また薬剤師として献身的にサポートし、最善の治療を常に一緒に模索してくれた妻。僕が入院するたびに京都から上京しマンスリーマンションを借りて家事育児の面でサポートをしてくれた母。僕の闘病生活はこの二人がいないと成立しませんでした。そしてこの二人はきっと僕以上にこの病気を治すことを信じて疑わなかったと思います。治療を止めるということは、そんな二人の思いを裏切り、今までの苦労を徒労にさせるということ。

・二人になんて言おうか。どうすれば納得してもらえるだろうか。言葉がまとまらないまま、僕は真っすぐ家に帰ることをせず、妻の職場の最寄り駅に行きました。妻にLINEし、職場最寄駅で待つから一緒に帰ろうと連絡を入れました。通常、点滴後にはそんな体力があるはずもないので、妻も何かを感じたのか手短な返信がすぐにあり、思っていたよりも少し早く駅に姿を現しました。

・どうしたのと聞かれ、移動しながら話そうと返す僕。来た電車に乗り空いていた席に並んで腰を掛け、『治療を止めたい』と告げました。そして医師とのやり取りを伝え、来週また診察に行くが、気持ちとしては止めたい気持ちが強いということを告げました。

・彼女は強張った顔で、何も言わず、でも僕をまっすぐ見つめていました。

・我が家の最寄についたものの、このまま家に帰って子ども達のいる中でこの話は出来ないと思い、母に子守をお願いし自宅近くのカフェで話すことに。

・カフェに行く道すがら、『…辛い?』と聞かれ、『辛い』と返す。それまで(自分の記憶する限りでは)治療・闘病に対する弱音は吐いたことがなかったので、おそらくこれが初めての弱音。自然と涙が溢れる。未来を悲観して泣いたことはあっても、治療や闘病に対して涙したこともおそらく初めて。溢れる涙を拭きながら、いっぱいいっぱいだったんだな自分は、とその時初めて感じました。

・カフェでは彼女から、妻として、医療人として治療を継続することを改めて勧められました。昨年夏から複数のセカンドオピニオンを経て今回の病院に転院したのも、悔いのない闘病を、治療を選ぶためだったじゃないかと。それを途中で断念するのはもったいないとも。もちろんそれは分かっていたし、面と向かって言われるとそれを中止側に説得することは難しいなと感じました。彼女の切実な思いも一緒に伝わってくるので、やはりもう一度頑張るべきなのじゃないかと、気持ちも揺れました。でもあの苦しみをあと3回も取り込めるのか自分は…。どうせこんだけ転移していれば長生きは望めないだろうし、限られた人生の時間でこれ以上痛い・苦しい時間を増やしてどうするんだ、という気持ちが心の中で渦巻いていました。もっと楽しくて素敵な時間を過ごすことのほうが有意義じゃないのか。そんな思いを率直に伝えました。

・彼女は、見たことないほど悲しそうな顔で僕を見返していました。悲しませてしまった、と後悔するが、ここまで弱音を吐いて今更取り繕ってもしょうがないので、思いのたけを伝えました。苦しい、つらい、しんどい、止めたい。ありったけの弱音を。

・1時間以上話し合ったが結局結論に至ることはなかった。彼女も今日の今日で僕の気持ちを逆方向に向けることは難しいと悟ったのか、無理に結論に落とし込むような話はしなくなりました。ただ一つ、提案として『マギーズ東京に行くこと』を薦めてくれました。

・マギーズ東京とは有明にある相談施設。がん患者およびその家族友人が抱える悩み苦しみを分かち合うことで向き合い乗り越えていきましょうというコンセプトで、無料且つ予約なしで行ける場所です。現役看護師の方や心理士の方もおられるので、僕のような心理状態、迷いに嵌まっている人間にも何かしらアドバイスや事例を指示してくれるのではないか。それらの意見を基に決めても遅くはないのではないか、と。

・マギーズ東京はオープニングイベントを観覧しに行ったことはあるので場所や雰囲気は知っていました。が、自分に必要なのか分からないままその後行ったことはありませんでした。確かに今がその時かも知れないと思い、彼女の提案を受けることにしました。

・帰宅後、今度は母に今日の経緯と率直な思いを伝えました。自宅では子ども達もいるので、母が仮住まいとしている近くのマンスリーマンションで。

・妻の時同様、母からも治療継続を薦められるかと思っていたが、母からは『もういいんじゃない、あんたは十分頑張ってるよ』と、まさかの中止を薦める言葉が出ました。

・『あんたが鬼の形相で痛みや苦しみに耐えてる姿を見るたびに、抗がん剤に殺されるんじゃないかと心配になった。どんな選択、どんな結末を迎えようと、最後に良い人生だったと思えればそれでいいじゃない。でも残される奥さんと子ども達のことはしっかり考えてあげなさいよ。』

・早死に想定であることに些かびっくりした反面、そうか治療を中止するというのは、早死にする可能性を自ら選択することなのかと(今更ながら)そこで突きつけられました。なんとなく受け入れたつもりでいた死を、自ら呼び込むことになりかねない自分の選択に、背筋が冷たくなりました。

・自分の選択の重さと意味を突き付けられ、とはいえやはりいきなり逆方向に振れるかというとそういうわけでもないので、母との話においても結局自分の気持ちは『保留』のまま。マギーズ東京に行ってくる旨も伝え、そこでの話や妻との話も経て来週までに結論を出すということにして、帰宅しました。

・帰宅したのは21時。もう妻も子どもたちもお風呂に入り終えており、髪を乾かしたり歯を磨いたりと寝る準備を進めていました。僕も平静を装って、努めて明るく子ども達にただいまと告げ、遅くなったお詫びを言いながら布団を敷いたり歯磨きの仕上げをしました。

・そして子ども達の寝かしつけ。いつも通り妻は次女と、僕は長女と同じ布団に入る。長女とは、いなかった時間を埋め合わせるように今日の様子を小声で話し合っていましたが、ものの5分もすると返事の声がだんだん遅く小さくなってきました。もうすぐ寝そうな、見慣れた長女の横顔が、その日はとても特別でいとおしくて。圧倒的にママ派の長女は僕との過度のスキンシップをいつも本気でめちゃめちゃ嫌がるし、きっと今回もそうだろうなぁと覚悟しつつ、『ほっぺにチューしていい?』とダメもとで聞いてみると、まさかの『いいよ』。いつ以来か忘れるほど久しぶりに彼女の右頬にキスをすると、途端、自分でも思ってもみなかった勢いで、涙が溢れました。びっくりするほど急に涙腺が緩んだとともに、胸の奥から、おそらく人生で初めて、『生きたい』という思いがこみ上げてきました。

・そのまま長女をぎゅっと抱きしめながら声が出ないよう涙を流しながら、あーこれが生きたいという感情か、自分はまだ生きたいんだなぁと、どこか冷静に、でもしっかりとこの感情を受け止めました。

・長女は僕が泣いている様子を気に留めることなくスヤスヤと寝入り、僕も一通り涙を流し終え枕元のティッシュで眼を拭き鼻をかみ、布団から出ました。

・暗かったリビングに電気をつけた時にはもう、『治療中止を止めよう』、生きるために頑張ろうとスッキリした気持ちで思えました。

・妻でも母でもなく、僕の生きる気持ちを固めてくれたのは長女でした。彼女は僕のいのちの恩人です。

・でもまた揺れるかもしれない。せっかく逆方向に振ってくれたこの思いをきちんと固めたい。治療に向き合う勇気が足りない、勇気が欲しい。そして気持ちをきちんと固めて、妻と母に報告したい。

・僕はマギーズ東京に、勇気を貰いに行くことを決め、その日は眠りました。

 

簡単に書こうと思いましたが、書き始めるとやっぱり長くなってしまいました。

続きは次回のブログにて。