20171117‗自分に素直になったこと。
病気になる前の僕は、とても欲深く、とても迷っていました。
出世をしたい。
裕福な暮らしがしたい。
幸せな家族生活を過ごしたい。
幸せそうに見られない。
頭良く見られたい。
人望があるように思われたい。
あれもこれも求めながら、どれも手に入れていない中途半端な状態。
これでストイックな努力家ならまだ救われますが、めんどくさがりの楽したがりなので、質が悪い。努力に結果が伴わなくても頑張った気になって、その頑張っている姿で評価されたいという自己顕示欲の悪循環。
今振り返ると本当に恥ずかしいし、イタい。
当時の上司、同僚、部下にとっては、本当に扱いずらい人間だったと思います。
でも、病気になって、自分の人生を日本人の平均寿命では考えられなくなったときに、不思議なことですが、肩の荷が下りたような気持になりました。
自分の人生の時間が思った以上に短くなった(かもしれない)ことが分かったとたん、本当に必要なものだけ欲しよう、利己的な自己満足や承認欲求からくる欲望は捨てよう、とそれまでの執着が嘘のように、あっさりと、思えました。
限られた時間の中で多くは望めないのだから、本当に大事なものとだけ向き合おうと思えました。
欲求の断捨離がはじまりました。
地位や名誉はどっちみち一握りの人間しか得られないんだし、その一握りになるための努力をしているわけでもないのだから、望むのはやめよう。
お金に関しては今の生活水準で十分幸せに生きているのだから、多くの望むのはやめよう。
他人に自分が良く映っているかを気にするのではなく、自分がしたいことをするために、羨望を望むのはやめよう。
残ったのは、月並みですが、家族と友と思える人たちとの時間。
治療を支えてくれている身近な存在に感謝し、少しでも恩返しをしよう。
幸せか不幸せかは結果論として、家族と過ごす時間を大事にしよう。
あれもこれも望むのをやめたら、生活がとても楽になりました。
好きな仕事を背伸びせずに等身大でさせて頂き、休日は家族と過ごす。
人間関係や仕事関係の悩みも激減し、ストレスフリーなメンタル。
僕はがんになっていなければ、きっと今頃、出世欲と怠慢と似非イクメンを足してぐちゃぐちゃに混ぜたような面倒くさい人間になって、自分自身もぐちゃぐちゃになって、いつか壊れていたのではないかと思います。食生活も乱れていたので、がんでなくても、別の病気に苦しんでいたかもしれません。
僕にとってがんは、神様が、『一旦下りていいよ。楽にやりなよ。』と、差し伸べてくれたはしごだと思っています。
下りたからこそ地に足がついて、35歳の今頃になって、自分の足で歩けている気がします。