がんになって、よかったこと。

ステージ4の大腸がんになっておこった生活や思考の変化を率直に書きます。ネガティブなことばかりではなく、実はポジティブなことも多いのです。

20171125‗どうしようもない困難からは何とかして教訓を得ないと割に合わない、ということ。

 

人生には、どうしようもない困難が突然降り注ぐことが、ある。

 

未曽有の大災害に見舞われる。

交通事故に巻き込まれる。

濡れ衣を着せられる。

根も葉もないうわさ話がたつ。

良かれと思ったことが裏目に出る。

 

こういったことの多くは避けられるものではなく、予兆があるわけでもなく、ただただ不幸な偶然で起こってしまうと思う。

 

被った被害者は一様に『なんで私が、僕が』と思うでしょう。

『回避する手立てがあったんじゃないか』と思うでしょう。

 

ないんです。理由も、回避の方法も。

あるんです。理由のない、ただの不運が。

 

僕も最初のがん告知を受けたとき、口をついて出た言葉は『なんで自分が』でした。飲み過ぎが悪かったのか、食べ過ぎが悪かったのか、日ごろの行いが悪かったのか。

先生に何度も『何が原因だったんでしょうか』と聞きました。

 

でも先生の返事は決まって『わかりません』でした。がんに限らず多くの病気は複合的な要因で起こるので、これが原因と特定することは意外と難しいとのことでした。

 

それに僕がかかった虫垂がんというのは平均罹患年齢60代で、且つ大腸がんのカテゴリーの中でも珍しい種類のがんだと聞いています。当時32歳の僕がまさか虫垂がんだとは、当時の主治医も目を疑ったといいました。

 

であれば、これはもう、ただの不運でしかない。不幸な偶然でしかない。

 

でも、今の僕には、それで終わりにはできないです。

不運を被って、傷ついて、悲しんで、

それで終わり?

望んで得た苦労でも困難でもないのに、マイナスだけ被って、

それで終わり?

 

普通の人が当たり前のように今日を終え、明日が来ることを疑わない中で、一人夜眠ることを恐れて、朝起きるたびに『今日も生きられる』と胸をなでおろす生活を、ただの不運な不幸で終わらせる?

 

冗談じゃない。割に合わない。

 

幸せと不幸せはフィフティフィフティなんじゃないの?

全然50/50じゃねえ。割に合ってねえ。

 

であれば、自分で割に合わせるしかない。

自分なりの学びや教訓を得るしかない。

この不幸せを幸せに変えるしかない。

 

じゃないと、ただ悲しくて苦しいだけで、割に合わない。

 

このまま、不幸だったなぁでは終わらせられない。

 

普通の生活をしていたら得られなかったであろう何かを得て、病気でない人がうらやむような何かを得て、振り返った時に『あの時病気になってよかったなぁ』と思えるぐらいでないと、

 

割に合わない。

割に合わせないと。

割に合わせます。