がんになって、よかったこと。

ステージ4の大腸がんになっておこった生活や思考の変化を率直に書きます。ネガティブなことばかりではなく、実はポジティブなことも多いのです。

20171130_わからない、ということ。

 

2017年11月初旬に、ネットで話題になった、ドラマ『コウノドリ』の第五話。

妻が撮りためていたこともあり、遅ればせながら先日見ました。

 

いやー、泣いた泣いた。久しぶりにドラマで泣かされました。

初産のお母さんが切迫早産で入院するも、胎内で死産となり、その悲しみに夫婦で向き合う回。主治医だったコウノドリ先生も、原因を懸命に探すも、検査の画像・数字はいずれも正常。

 

下した判断は『原因不明』。つまり、分からない、ということ。

 

コウノドリ先生はその事実をご夫婦に伝え、分からないということでしか説明できないことに対してお詫びし、頭を下げる。ご夫婦もその真摯な対応に納得し、トラブルなく、亡骸と共に退院、帰宅する。

 

なんともやりきれない話でした。

 

死産の事実や夫婦の向き合うやるせない悲しみにも泣かされましたが、それ以上に僕の胸を打ったのは、コウノドリ先生が分からないことを素直に『分からない』と伝えたことでした。

 

通常、患者にとって病院というのは病気やケガを治してくれる施設であり、医師にはそこに対する絶対の信頼と知見を求めると思います。僕もそうでした。

でも、3年前に初めてがんが見つかり、腸閉塞や腹膜炎等複数の合併症も併発して入院が長期化していたころ、医師によく『なんでがんになったのか、何がいけなかったのか、なんで合併症がこんなに出ているのか、何故まだ退院できないのか』と聞いていました。

 

当時の主治医から出た答えの大半は『分からない』でした。

 

厳密に言うと、日ごろの食生活から遺伝に至るまであらゆる可能性ががん発症にある中で、個別のケースが何を起因として発症したかまでは突き止められないので、分からないということでした。

 

確かに自分でも国立がん研究センターの資料や治療ガイドラインなどを読みましたが、治療方針や治療方法、統計結果等については書かれていてもその原因や予防については殆ど触れておらず、つまり現代医療の最新研究をもってしてもがんのことについてはまだまだ分からないことが殆どなんだということがわかりました。

 

この事実は結構ショックで、医療に対する考え方、向き合い方が大きく僕の中でも変わりました。

 

先ほど書いたように、病気になる前の僕は病院・医師に対して『回答を持つ存在』であることを期待していましたが、実はそうではないということです。

 

当時の主治医は先ほどの僕の質問に対して、分からないという言葉とともに、こんなことも言っていました。

『あくまで病気を治すのは患者本人の治癒能力であり、医師はその治癒の機能を最大限に引き出すためのサポート役である』と。

 

最初は『責任逃れの言い訳か』とも思いました。

しかし闘病生活も3年経ち、今はその言葉の意味がよくわかります。

 

最初の入院中当時、重い腸閉塞を患っていた僕は医師から提示されるあらゆる治療法、あらゆる検査、あらゆる投薬を何ターンも繰り返していましたが一向に状況が改善されず、あわや3度目の手術をするか人工肛門をつけるかという選択を迫られていました。

 

人工肛門は嫌だ、手術ももう嫌だ。入院期間ももうすぐ3ヵ月、このまま一生病院暮らしなのだろうか。

 

そんな風に自暴自棄になりかけていたある日。

 

唐突に、何の前触れもなく、それまで全くと言っていいほど動いていなかった腸が、突然音を立ててグルグルと動き出しました。便通も驚くほどスムーズに出るようになり、今でも覚えていますが、大腸が動いている様子、音、場所が手に取るように分かるほどでした。ずっと禁止されていた飲食も徐々に許可が出るようになり、その2週間後、無事退院することが出来ました。

 

それまでの治療法や投薬が時間をかけて効いたのかもしれませんが、今振り返ってみると体は何かしらの『きっかけ待ち』をずーっとしていたんだろうな、と思います。

 

治療や投薬や祈りや想いや、体力や体調や諸々のものが整って、それらの組み合わせが意識では分からない部分で何かしらの『きっかけ』としてかちっとはまり、腸が動き出した。

 

医師はあくまでサポート役。治すのはあくまで自分自身の意思。

 

これを念頭に置いて、来月の4度目の入院と手術、頑張ってきます。